もう、色々な意味で、哀しすぎる。
……今日の日記はダウナーテンション+ダークネスです。
……まだ、まだ完結されてない物語の方が、救いがあったと思う。下手であるなら、それは仕方ないと思い、またどんどんぶつけて欲しいとも推奨できただろう。途轍もなく異色作品だったら、スレた人間である私はそれを喜ぶか、もしくは苦笑したと思う。ジャンルに徹しきり、特化した作品なら、凄いと褒め称えただろうし、平坦であっても、窘めるぐらいでとどまれただろう……。
でも、それ以上に、この気持ちは辛いなあと思った。それ以前の問題だった。それですらなく、また、そこに情熱や向上心のなさが見れたような気もした。それは錯覚かもしれない。でも、今私の目に映るのは、憤怒と絶望、ひっくるめた哀しみだけだ。
泣きたくもなる。私は別に、感想をもらうことの為だけに物語を書いてきたわけではない。自己満足の気持ちも多分に存在するし、それ以上に、面白さを追及する心こそが一番の書くという気持ちを養ってくれる……。
希望したら、その分だけ絶望する。信頼すれば、その度合いぐらいには傷つけられる。期待すれば、等分に裏切られる。その可能性はいつだって存在する。ああ、なるほどなあとそれを受け止める自分がいた。痛いなあ、と思ってしまう。書く気が、まったく起きえない。
これを見てる人の中で、「自分の責任か?」と思う人間を私は少なくとも一人は知っているので、言っておく。「それはあなたのせいじゃない。多分にして勝手に希望し期待した自分の責任だし、そしてそれに応えてくれなかった、この日記を見ない人だ」と。
甘えていたのだとも思う。自分はそういう環境にずっといた。――否、こういう環境があるのを想像も妄想も夢想ですらつかなかった。そして今この身に代償を受けて思い知った。……欝過ぎて、頭痛がする程だよ。
創作と言うものに携わっており、(名目上)アマチュアの域である時はそれは全て自分の自由だろう。やるのもやらぬのも、どう紡ぎ、どう完結するのも全て自由であっておかしくはなく、また然るべきなのだ。
でも、それでも――アマチュアでも――時と場所によっては制限され、制約されるべきだとも思う。それを従事し、そしてそれに見合うだけのメリットがあるのなら。
……私はこう言いたいのだ。「自分で選択肢を選んだのなら、その時に、他人が敷いたルールがあるのならば、それは従うべきだ。何しろ、自分で選び、そこに価値を見出したのなら、自分にルールを破ったら責任が伴う、と言う責任があるからだ」と。そう言いたいだけだ。でも、破った人間は余りにも多く、むしろ守った人間が一人もいない……。
不特定多数の皆さん、訊いていいですか?
この考えは、間違っているのでしょうか? 「自分からその敷居を跨いだのならその家の家訓に従え」と言う考えは? 間違っているのですか?
破る人間しか居らず、守るべき人間が皆無だからと言って――
許されるのですか? 許されてしまうのですか?
私はNO! と心の底から言いたい。……でも、正しいかは分からないんです。