後悔と云う言葉。

 それを一番みに味わうと言うのは、過去の自分を呪う時だろう。

 例えば、だ。自分がある人間と楽しげに談笑をしていたとしよう。その会話は弾みに弾み、時を経つのも、周りの事にも気を配れない事があるとしよう。その時、ふと自分の腕時計をみる。もうそろそろ帰らねばならぬ時間。しかしそのまま離れるには名残惜しいものだ。会話が楽しければ楽しいほど、帰ると云う言葉も言いにくい。だからズルズルと話し込んでしまう。定刻に帰れない背徳感を気負いながら、それ以上に愉快なひとときに身を任せて……。そしてそのまま長く居座りこみ、もうこれ以上はと自分が帰ると言い出す。相手も少しだけ残念そうだが時間を知って引き止めはしないだろう。ごめん、と小さく謝り、自分は帰路を辿る。楽しかった事を思い、上機嫌に鼻歌を口ずさみ、周り全てが幸せに包まれた様な、余韻に良いながら。しかし、帰ってみれば、そうしてはいけない選択肢だったと気づく。何でも良い。陳腐でありきたりなら、定時刻に帰ってこなかった事を咎められるだろうワンランク上ならば何かあったのだと勘違いされ、怒鳴り散らされたりするだろう。……或いはその時間の差で、取り返しのつかないことが起こったり……。

そして思うのだ、少し前まで、喋っていた自分を。

そして憎むのだ、笑って、まだ良いだろうと思っている自分を。

 その時、人は後悔する。





何故、あの時自分は、ちゃんと帰ろうとしなかったのだと。