帰り道

 さすがに四時間ほど睡眠に徹すると、割と痛みは引いたみたいだ。しかしそれでも本調子には全く届かない。抗癌剤を打つと数日間副作用に悩まされると聞くが、この数倍の痛みに耐える人間を思うと、畏敬の念を感じずにはいられなかった。そもあれ、自転車で帰路を辿る。すると、事故った。どこかにぶつけたのだろう。自転車が吹っ飛び自分が転がるまでの一切合財を鮮明に記憶していた。(あるいは衝撃で記憶から欠如している)
 転がった先の、二回転ほど後には自分が仰向けになっていた。見えたのは、大空だった。雲が浮かんでいて、蒼かったのが一番印象に残っている。綺麗だ。素直にそう思った。周りには人がいないか、もしくは不親切なのか、十秒足らずそうしていたが、駆けつける者はいなかった。……いや、駆けつけられたら駆けつけられたで困ることでもあるが。
 基本的にこう言うことは慣れている(自転車の交通事故など片手では収まらないし、転倒など数を数える気にもなれない)ので、最低限の対処は転ぶまでに行っているのだ。挙げてみるなら、転ぶ地点の確認(人がいるか、凶器はないか)、受け身、出来うるなら自転車の安否も。「そんな事一瞬で出来るか!」と思う人もいるかもしれないが、それは間違いだ。人間、痛みと苦労と経験を積めば出来る! ……こんなことに、慣れている私が問題だが。
 ともあれ、仰向けになっている間にも、自分の損傷部位がないことを最低限は確認。……と言っても、こんなことが起きると感覚が麻痺するのか、気休め程度にしかならないが(現に前の自動車と衝突した際、十分ほどしてやっと右腕が上がらないことを知覚。朋也か私は)。
 自転車を起こし、周りを見ると、あまり人もいない様子だった。だが、少数ながらいるようで、五十メートル先に駐車場の警備員と三人の女性がいた。私が見ていると、踵を返して三人の女性は歩き去った。心配していたのかな、とか思って、行き先が同じだったから同じ歩道へと渡って後ろを通る。左側の、見た目十代前半で、年齢にしては整い過ぎた顔立ちの少女がしきりに私を見ていた。私は小さく微笑み、彼女らの前を通り過ぎた。可愛かったなあ、とは思ったが、私はロリコンではないので、別に何もなかった。……何も、なかった。