もう一つ。

 私は今日、四時を少し過ぎた頃に帰宅した。解散予定が3時である事を考えると、まずまずの所だろうと思う。まあしかし、だからと言って喜ぶ訳でもないが……。
 今日は洗い物が沢山あった。昨日と一昨日、二日に渡って作ったケーキのタッパー(物いれ)を洗う為である。生クリームに汚され、カスタードが硬くこびり付き、かなりやる気のなくなるようなものだった。しかも二つ持って行った一つはプラスチック製であり、どこかで衝撃を受けたのかそこにヒビが入っている。これでは次が使えないだろう……。
 私は時折、正体不明の衝動に突き動かされ、歌詞作りをすることがある。と言ってもそれは一月か二月ほどに一回と言う感じで、ほぼ熱に浮かされたかのような状態で作り出す。当たり前だが、全ての材料費は自分で受け持つ。果物や生クリーム、グラニュー糖、薄力粉に卵etcetc……。全ての金額を合わせると一回にニ、三千円といった所か? まあ、全てを使い切る、と云う事はないので、残った物は家の料理へと使われ無駄がなく、身内共々ホックホクである。
 そして作ったものを行き先の知人に渡したりしている。(補足であるが、私は作る時に持っていく用と家用に分けて作る事にしている)まあ好評のようであり、美味いとは言う。しかし虚言ではないかと疑い、私も一緒に食べ、まあ嘘ではないなと、二度目(一度目は家での完成時)の安堵を迎える。自分が作ったものが高評価だった場合、つい遠慮しているのではないかと疑ってしまうのが私だ(苦笑)。
 勿論の事ではあるが、作って食べさせたからと言って金額を請求したりはしない。たまに「幾ら?」と聞かれたり、冗談めかして「○○円ナリ」と言ったりはするが、絶対に金は取らない。それは、自分が気紛れで衝動的に作り、食べさせたのは自分であり、別に相手が作って食べさせてくれと言ったわけではないからと区分しているからだ。だから、どんなにその関係を言われようが、断固として受け取る事はない(とは言っても、そう言う状況でないとき、一度だけ購入額の半分を頂いたが)。
 しかし、そこではたと思い当たる。実際は上記のプラスチックが割れた時だ。「どうして自分は金がかかるのに、手間暇がかかるのに、別にそんなメリットがあるわけでもないのに、菓子なんて作っているのであろう?」と。
 もし、菓子を食べたいが為に作ったと言うなら、そんなものそう言う菓子店に言った方が良いだろう。そうすれば買った材料の数分の一で、かかった時間の数十分の一で、そしてレジに立つ美人のお姉さんの営業スマイルとお辞儀を見て満足げにケーキを頬張れるだろう。
 作った事に意味がある。なるほど、それはあるかもしれない。私が作るのは一種の流行り病で突発性であるから。しかし考えても見よう。それだからと言って誰かに配る必要はないのだ。それに作ったことが目的なのなら、金額を請求してもいいのではないだろうか? なにしろ、食べさせる事が目的ではないから。それに、私は割れたプラスチックを見てそう思ったのだ。もし、誰かに食べさせなければ容器は割れなかっただろう。しかも生クリームに汚され、カスタードが硬くこびり付き、かなりやる気のなくなるようなタッパーを洗わなくてすむだろう。この考えは作った目的に対して有用な理由であって、誰かに食べさせる事については、全く論点が違う。
 じゃあ、食べてもらう事に意味があったのではないだろうか? 食べてもらい、美味しいと言われてもらう事に意味を見出し、充足感を得ているのではないか? ふむ、それはあるかもしれない。しかし考えても見よう。だからと言って菓子を作る理由にはならない。そして菓子を作って渡す為の材料費である金額を捻出する理由にも軽すぎる。何しろ、そんな事しなくたっていい。そんなことをしなくても、買った菓子を渡すなり、その人の趣味に合ったものをプレゼントすれば良い。もし金が無いのならばその人の為に手伝ったりすれば良いだけだ。人からそんな気持ちを貰うのに、何も菓子からアプローチをする理由にはならない。
 この三つの考えの派生版も十個ほど考えたが、どれも確たるものにはならなかった(将来の為? それなら衝動的に作りはしない)。どれにしろ、完全な解答を導けるものはなく、またそれに対しての異議が上がるものばかりだった。どれを選択するにしろ、間違ってはいないが、正しくもなかった。
 さて、これを読んだ皆さん、私が菓子を作り知人に渡す理由は分かるだろうか?(とは言っても私の心を覗けるか私に似た人間にしか分からないだろうが)ここまで引っ張っていて恐縮であるが答えは至って簡単であるものだ。
 しかし、この問いは簡単にしろ、少しだけ引っ張らせてもらう。(もし分からず、そしてこの文章を全部読むほど暇人ではなく、またミステリーを解くよりも「ふ〜ん」と読み流す人間であれば、さっさと下へスクロールした方が良いと私は言っておく)話したいことはこの考えについてだ。私が今説明した菓子についての疑問、どこか、似ていないだろうか? 何かと。
 それは、創作業にだ。特にアマチュアの、別に出来ても出来なくても生活に支障はないといったClassに対しての人間の。出来たからと言って、そんなメリットがあるわけでもなく、何かが欲しいというぐらいなら買った方が早く、作る事に意義があると言うなら少しばかり手間が掛かり、誰かに見せてもらえるのは幾許かの言葉。プロでない限り、プロを目指す者でない限り(言い方が悪いが)あまり必要性がない。そんなものが、創作業に対して言える言葉である(自分の思い通りに作る為にやっている、と言うならどうぞ作って見てください。思い通りに行く事がないのが常です。それに一番いる中級者クラスの人間は自分の思い通りに作れない事をよく知っています)。
 そして、私も厚顔至極であるが物書きをやっている。以前の日記にも書いたが、軽く四桁の時間を費やし、もう三年ほども長くやっている。だから私は言っているのだ。自分が携わっているから。だからこそ、言うのだ。創作業は役立つ事が少ない。それなら、違う方面で学んだ方が早いし手軽だ。そしてメリットは費やしたことに見合うほどではない人間が多い、と。(前も言った事があるが、これは決して創作業に携わる事が悪いと言っている訳ではありません。やっている人は正直に凄いと思えますから)
 ……さて、大分傾いた話を戻そう。答えを、導こう。私が、なぜ菓子を作って人に渡したのか? デメリットは多く挙げられる。・時間が掛かる。・金がかかる。・終わった後にも労力を強いられるetcetc……。逆に、メリットはと言うと? デメリットで挙げたほどの強い理由と意味が上がるものは、そうない……。
 ……しかし、それに対しての答えだが、非情に言いにくく、肩透かしを食らってしまうかも知れず、そんな大層なものがあるわけでもない。たのしいから。たった、それだけだ。
 菓子を食べるのが好きだ。菓子を作ることが楽しい。菓子を人に渡し、そして美味しいといってもらうのが好きだ。なんてことはない、上記に挙げた三つ全てが当てはまり、全てを統合したのが答えなのだ。ありきたりで、面白みもどんでん返しの答えがあるわけもなく、ただ、楽しいから。多々、それだけで私は時間が掛かることも、金がかかることも、終わった後にも労力を強いられることも全て許容し、容認する。それだけの苦労に見合うだけのものが、私の中に存在する、ただ、それだけなのだ……。
 創作業にしてもそうではないのだろうか? ある人はやる事自体が楽しいと言うだろう。またある人は自分で満足したいからと言うかもしれない。違う人は感想が宝物を貰ったかのように嬉しいからだと目をキラキラさせて言うかもしれない。だからこそ、創作業はあるのではないのだろうか? プロになってもいなく、プロになりたいという志もなくやりたいと思うのは、それだけで、たったそれだけで十分ではないのだろうか? 少なくとも、私はそれだけで十分理由になると思っている。そして今尚やめない人も、それで良いと思っていると私は信じている。何しろ、そうでなくては良い作品は生まれない。そしてやる意味が見つけられない。何より、それ以外の嫌々な気持ちならば辞めればいいのだ。創作業をやるのは自分の勝手なのだから……。
 そして、私はだからこそ菓子を作る。衝動的に、流行り病のように、熱に浮かされたかのように、突発的に菓子を作り、知人に食べてもらう。その一つ一つが、私のデメリットを遥かに超える見返りなのだから。