他観浸透

 「****ってイヤと思わねえ?」大体、私が人を嫌いになるとしてこんな言葉から始まる。誰かが誰かを嫌いになる。そしてそれを自分に伝えられて、始めてその人間を嫌いになるのだ。自分から相手を嫌う、と言うのは小学校ぐらいの自分ではそうなかった。棒で叩かれ、ヒトから苛められていると見られても、私自身がそれを知覚しなかったほどに、私は人を嫌いになる要素すら見つけなかったのだ。
 それは一見、良いことに聞こえるかもしれない。でもそれは、その人間が愚鈍である他ならない。他人の短所を見つけられない、人の輝かしい長所だけを見てしまう、それは何も見つけられない愚者と一緒である。
 私は人が嫌悪している姿を見て、初めて嫌いになる。でも、私が嫌われるのは普通だと言うのは、少しばかし滑稽だな、とか思ってみたりする。